作業所でのお昼ご飯は、その日に通所してきた利用者さんとスタッフが一緒にキッチンで作って出してくれる。
中華料理の元コックだった男性利用者がいて、よく餃子や野菜スープなどを作ってくれる。
その方が自分のお店を持っておられたのかどうかは分からないが、私自分も料理をするのは好きなので、退院して一番ショックだったのは、炒飯を作るために中華鍋を麻痺してしまった左手で振れなくなったこと、お好み焼きの小手でお好みをひっくり返せなくなったことだった。
プロの料理人だった方のもどかしさは計り知れないと思い、それでも作業所で「料理」という役割を受け持っておられるのを見ると、いつも勇気づけられた。
そしてその人の料理はいつも美味しい。
そこには「障害なんかには負けない」という料理人の矜持のようなものがあるような気がして、スゴイと思った。
一方「食べることが大好き」だった自分の役割を考えた時、昼ご飯が決まった時間に淡々と運ばれ、皆、比較的黙々と食べていることに気が付いた。
せっかく時間をかけて料理をしてくれた人がいるのに無言なのもどうかと思い、自分の役割は「美味しい!」ということだと勝手に決めた。
さらに演出として「つまみ食い」をしてみたりもした。
料理には作業所の畑で採れた野菜も使われ、病院食や自宅での食事とはまたひと味違った美味しさと喜び、楽しさがそこにはあった。
食べた後の食器の片付けも通所し始めた頃は杖なしで歩くのが難しかったので誰かに運んでもらわざるを得なかったが、身体のリハビリが進んで杖なしでも歩けるようになると、自分で運べるように変わっていった。
それは小さな変化だったが自分にとってはこの作業所の空間で一歩進めたのが少し誇らしかった。
「それもリハビリ」とは、リハビリ病院で何をするにも言われたことだったが、作業所では「それも作業の第一歩」だ。
~「この空間でやるすべてのこと」が、自分でやりたいことにつながっていく ~